最近、つくづく感じたことは負の連鎖です。
貧乏は連鎖するという話題がありますが、もっと狭い見方をすれば得意不得意という個人的な事で感じています。
例えば、算数が苦手、苦手だから勉強したくない。勉強しないからできない。出来ないから嫌いというように連鎖していきます。
私の場合は、ピアノを弾くことです。発表会などで伴奏を頼まれて失敗すると嫌になってピアノの練習をしない。練習をしないから上手にならない。
また、ピアノの弾くのがが下手だと周りが知っていると伴奏は頼まない。伴奏は頼まれないから練習はしない。練習はしないからピアノを弾くのは上手にならない。
逆に上手な人は何でも頼まれて練習する。練習するから上手に弾く。上手に弾くから頼まれる。頼まれると練習する。そしてさらに上達する。
という具合に良くても悪くても連鎖するんだなぁと感じました。
ピアノ伴奏を失敗して二度と弾くものかと思っていました。
そのうち、子どもたちに頑張ってやろうとか勉強しようとか言う資格があるだろうかと感じるようになりました。
自分自身が努力もやりもしないで子どもたちに強いるのはおかしいことだと罪の意識に似たものに襲われるようになりました。
そして、果たしてこのままで良いのだろうかといろいろ考えるようになりました。
それから奮起して、かつて失敗して聴くのも楽譜を見るのも嫌になった曲の伴奏を必死に練習をしました。
それは、役に立つことがないかもしれないし、自己満足かもしれない。
けれど、苦手なことを克服しないでこのまま終わることは自分にとっても不本意なこと。
堂々と子どもたちに頑張ろうといえるようにしたい。
全く出来ないことは仕方ないかもけれど、少しでも出来ることは頑張ることが大事だと思うようになりました。
ということで今日のキティ
友人がアメリカに引っ越しするときに貰いました。
椅子の足カバーは自分で購入
スリッパは同僚に貰ったキティの飾りを付けました。
これからも趣味としてピアノを弾いて自分自身が楽しめるようにしたいと思います。
負の連鎖。 さすがざっぴーさん! 負の連鎖の法則にはなるほど~と感動し
この法則を見出す事が出来ることやまた連鎖の連鎖文章が面白かったです。
またを期待します~~。 パンジーより
そんなぁ、たいしたことじゃありませんよ。
経験から感じただけのことです。
どんなことでも楽しむことが出来るようになればとしみじみ思っています。
学生時代は裁縫は大嫌いだったのですが、やり始めると下手なりに面白くなったのもこんな事でしょうかね。
何はともあれ逃げることだけはしたくないです。